あらゆる人が活躍できる場、「スマート大規模農場」とは?

農業におけるグローバルな就農人口減少の社会課題を解決するために、農業を「いかに魅力的な仕事に変えていけるか」が、新しい働き手を生み出すための大きな分岐点といえる。デンソーは、モビリティ製品で培ってきた生産技術を活かして、農作業全体の効率化と、柔軟な働き方をしながら生産効率を上げる農業システムの実現を検討してきた。そして「人と機械が協働する新しい農業の形」が見えてきた。

櫻井 大介
FVC事業推進部
大学時代の専攻は航空宇宙工学。研究分野を活かし、入社後は車載空調システムの開発・設計を担当。
2018年に社内公募で現FVC事業推進部に異動後、株式会社浅井農園(津市)へ駐在して農業現場を学び、共に合弁会社 株式会社アグリッド(いなべ市)を立上げ。現場の総管理者として、安定運営まで2年間を担当。現在は、株式会社デンソーアグリテックソリューションズ(港区)にて、施設園芸ビジネスの技術営業に従事。
細江 肖吉
FVC事業推進部
1997年に入社し、デンソー企業内短大にてソフトウェア開発を専攻。配属後は車両エンジン用ECUのソフトウェア開発を担当。
2015年から社内公募で現FVC事業推進部に異動し、統合環境制御装置[プロファーム コントローラー]や、強制換気型農業ハウス「プロファーム T-キューブ」、生産統合管理システム、AGV走行管理システムなどのソフトウェア開発に従事。

農業のムリ・ムダ・ムラを「モノづくり技術」で解消する

デンソーは、農業の人手不足を解決する取り組みとして、「自動収穫ロボットFARO®」の記事を掲載されていますが、その中で株式会社アグリッド(以下、AgriD)の紹介をされていますよね。AgriDではどのような取り組みをしているのでしょうか?

記事リンク:AIの「眼」を持つロボットが、農業の新たな地平を開く

櫻井:AgriDは、デンソーと株式会社浅井農園(以下、浅井農園)が合同で設立した「スマート大規模農場」です。デンソーはAgriDにおいて生産性の高い持続可能な農業づくりに向けた、ムリ・ムダ・ムラの解消に注目して実証実験を進めています。前提として農業は生き物相手であり、自然相手でもあるため、さまざまな予期せぬムリ・ムダ・ムラが生じます。

たとえば、作物は生産者の思う通りに育つとは限らないため、常に作物の生育状態を見て対応することの「ムリ」。作物の収穫繁忙期に対応するため、想定外の人員補充が必要となったり少ない人数で補いながら作業をしたりすることで、本来必要のない作業の重複が発生してしまう「ムダ」。働き手によって経験値やスキルが異なることで、人による作業が安定せず、結果として収穫物の品質にバラつきを出してしまう「ムラ」です。

このようなムリ・ムダ・ムラをなくすことで、経営の圧迫を抑えた持続可能な農業に貢献できると思うのです。

前述した従来の農業に存在するさまざまな課題は、栽培技術に強みを持つ浅井農園との議論の中で浮き彫りとなり、わたしたちは、デンソーのモノづくりの根幹である生産技術の「カイゼン」や「自動化」といったノウハウを活かせば、ムリ・ムダ・ムラをなくせるのではないかと考えたわけです。

浅井農園とデンソーが組んで次世代の施設園芸モデルをつくって、世界に普及させることで、もっと農業を魅力的な産業にしていきたい。その実現に向け、2020年に三重県いなべ市に国内最大級の「スマート大規模農場」を建設したのがAgriDの始まりです。

AgriDの外観

AgriDの内部の様子
上:AgriDの外観
下:AgriDの内部の様子

どのようにムリ・ムダ・ムラをなくそうとしたのですか?

櫻井:まず、わたし自身が浅井農園に出向して日々の生産活動に参加し、農作業の詳細を教えていただきました。たとえばトマトの場合、蔓(つる)を伸ばす「誘引」という重要な作業があります。農場のスタッフがクリップを手に取り植物に付けるところを動画で撮影し、作業時間を計測しましたが、こうした作業にかかる時間はスタッフによってかなりムラがあることがわかりました。

細江:情報管理にもムダがありましたね。AgriDのハウス内には複数のレーンがあり、担当スタッフ名と作業の開始時間・終了時間を紙に記入するようになっていましたが、後からスタッフ約50名の情報を集計するのは大変で、実施出来たとしても月に数回程度。データ解析による細かな勤務管理が難しいため、必要な人員もつい大目に見積もりがちでした。

それから、作業間の動線のムダにも気付きました。1日にトン単位でトマトを収穫するのですが、スタッフは収穫したトマトを手押し台車で近くのパレットまで運んでいたのです。一度一時置きの場所まで運んだ後、そのパレットをまた別のところまでハンドリフトで持っていく・・・。集められたパレットはフォークリフトでさらに別のところにある出荷場まで運んでいました。

櫻井:そして、年間を通すと生産量にバラツキがあるのですが、生産量が増えた時はとにかくスタッフを増やす。減った時はみんなに休んでもらうといった具合で、作業の平準化ができていないことも問題でした。

とにかく農業は作業を標準化することが難しいのです。相手が生き物なので1つ1つ形や生え方が異なりますし、それを扱うスタッフも状況によって迷ってしまうことがある。モビリティ製品のように均一に安定した品質で生産される製品をチェックすれば良いというわけにはいきません。

細江:こうした課題を解決するために、発想を転換しました。これまでは、作業内容や場所についてスタッフに情報を記入してもらっていましたが、それを、管理側からスタッフに指示を出し、その実績を収集して結果を分析するようにし、これを自動で行えるようにしました。さらに、スタッフの勤怠管理や協業するロボットへの作業指示なども含めて、ハウス内の作業全体を管理する「生産統合管理システム」を構築することにしたのです。

調査時に使用されていた手書きの作業進歩確認シート調査時に使用されていた手書きの作業進歩確認シート
調査時に使用されていた手書きの作業進歩確認シート

人が最大限能力を発揮できる、最適な環境をつくる

開発された生産統合管理システムを使って、AgriDではどのように生産活動を行っていますか?

スマート大規模農場に出勤してきたスタッフは、まずタブレットを手に取って自分のIDでログイン。すると、その日にどのレーンでどんな作業を行えばよいか案内されます。スタッフが指定されたレーンに移動すると、作業の注意事項などが表示され、それを見ながら作業を進められるようになっています。病害虫の発見など何らかの異常があった場合には、タブレットのカメラで状況を撮影し、管理者に相談できる機能も備えています。これまでは、スタッフが判断に迷った場合は広い農園の中を歩き回って管理者を探さなければなりませんでしたが、今は、スタッフと管理者のコミュニケーションがスムーズになり、異常時の対処も素早くできます。

実際のタブレット
実際のタブレット

櫻井:勤怠については、AgriDで働いているスタッフの多くはお子さんのいる女性で、人によって週に働ける頻度や1回の作業時間も異なります。そこで、午前・午後・全日など全部で10パターン以上のシフトの種類を用意して、スタッフが自由に登録できるようにしました。

普通ならこれだけシフトのパターンを選べるようにすると管理者に大変な負担がかかってしまいます。しかし、AgriDのシステムでは現在どのような作業工数が必要であるかを集計し、シフト登録との需給状況を先1ヵ月分以上にわたり見える化しています。また現在は、スタッフに対して自動的に作業を割り振る機能も導入を進めています。人手がどうしても足らない時は管理者からスタッフに声がけする場合もありますが、事前予測も容易になり勤務管理がとても楽になりました。

スタッフは自身が所有するスマートフォンでシフトを入力できる
左:スタッフは自身が所有するスマートフォンでシフトを入力できる
右:管理者は生産統合管理システムでスタッフの出勤情報を細かく確認できる

夕方になると、管理者がスタッフの作業記録をチェックします。レーンごとの作業の進捗状況・スタッフの困りごとの有無などを確認し、翌日の作業に反映させます。
これにより必要な作業人数の予測精度が向上し、生産性を上げることを実現します。

自動的に割り振られる作業は、どのスタッフも同様に実施できるようになっているのですか?

櫻井:はい、誰が行っても同じ作業品質になることを目指しています。その部分は浅井農園の協力によるところが大きいです。浅井農園が培ってきたトマトの育成ノウハウを基に、理想的な作業手順をつくって標準化しています。

デンソーはどうしても工業的な視点でムリ・ムラ・ムダを省いた合理的な作業手順を考えがちなのですが、農業では生き物を扱う以上、作業のバラツキが避けられません。作業にはある程度余裕度を持たせ、きちんと作物の状態も確かめながら作業を進められるようにする。ムダをすべて削除すればよいわけではないというのは、非常に大きな学びでした。

AgriDには、自動収穫ロボットFARO®をはじめ、人の作業をサポートするさまざまなロボットがありますが、AGV(Automated Guided Vehicle/無人搬送車)はどのように使われているのですか?

細江:繁忙期には、最大7台のAGVを収穫物の搬送に使っています。農業ハウスの一番奥から出荷場まで300mほどあり、スケジュールに応じて空棚を搭載したAGVが収穫場所に送られます。スタッフは収穫物を詰めた箱を棚に積んでいき、いっぱいになったらタブレットで収穫が完了した旨を通知します。すると、AGVが棚を出荷場まで自動搬送するようになっています。出荷場の保管エリアでは先入れ先出し、つまり早く取れたものほど先に出荷するよう棚を置くようになっていますから、その後のラインでの梱包作業もスムーズです。

櫻井:収穫物を積んだAGVが出荷場に入ると、床に埋め込んである測りで自動計量するようになっています。管理者は、その日の目標に対してどの程度収穫できているかの進捗を遠隔で確認することもできます。このタイムリーな進捗確認によって、適量で収穫を終え、ムダなくスタッフ達を次の業務へ誘導することもできるわけです。

ハウス内で運搬を行うAGV
ハウス内で運搬を行うAGV

スタッフの作業記録はサーバーに集積されていきますが、このデータはどのように活用されるのでしょう?

櫻井:管理者が進捗状況や作業速度を確認するのに活用しています。例えば、作業が遅いスタッフがいたら作業のやり方をサポートしてあげたり、進捗状況が遅れているレーンがいくつもあったら、植物に異常が起こっていないか調べたりといった使い方です。

細江:今は目標に対してどれくらいの進捗かをわかりやすく表示することが主な使い方ですが、今後は管理者がスタッフに個別指示を出すといった機能も検討しています。

人と機械が協働する、これからの農業

勤務管理やAGVを導入したことで、どのような効果がありましたか?

細江:AgriDで働いているスタッフはパートタイム勤務の方が多いのですが、大規模農場の先進国であるオランダなどは農作業のプロが働いています。こうしたプロは当然ものすごく作業速度が速いのですが、AgriDのスタッフも海外のプロに匹敵する速度を実現しています。

それはすごいですね。何が効果的だったのでしょう?

細江:生産統合管理システムの作業実績データを使ったカイゼン活動が効果的なのだと思います。スタッフ毎のバラツキをデータとして確認した後、バラツキの原因を実際の作業を確認しながら是正していきます。これにより、早く確実な作業を標準化し、スタッフ全体に教育していく事で作業速度を向上していきました。加えて、勤務管理・FARO®そしてAGVなどを繋げて統合制御できるので、生産活動という全体視点で生産性を向上できることも強みです。

また、作業実績に基づいて計画を立てることで、生産コストを抑制することもできています。今までは、「去年のこの時期は20人くらいのスタッフで取り組んでいたから、今年もこれくらいの人員配置にしよう」と感覚的にスタッフを雇っていましたが、作業実績データがあると作業計画を元に「2人過剰である」「1人不足している」など詳細な状況がわかってきます。これにより実情に沿ったシフトを組めるので、従来に比べて人件費を1~2割ほど抑えられています。

月ごとの作業生産性の確認画面
月ごとの作業生産性の確認画面

タブレットを導入するにあたり、スタッフに戸惑いはありませんでしたか?

櫻井:紙に書くより楽になったというスタッフが多く、導入はポジティブに受け入れていただけました。

細江:ただ、スマートフォンにあまり馴染みのない高齢者もいらっしゃるので、使いやすくするためにスタッフや管理者からフィードバックをしてもらうことで、ユーザーインターフェイスを改良していきました。

櫻井:特に力を入れたのは、作業教育です。浅井農園の熟練者に作業を実演してもらい、作業ポイントを追記した動画を使い学習できます。これは、ユーザー視点でつくった仕組みのひとつです。

また、単に個々の作業内容を機械的にこなしてもらえばいいということでなく、1年かけてトマトがどのように育っていくのかをスタッフに理解していただきたいと心がけました。スタッフには、トマトに愛着を持って作業をしていただけていると感じますし、作業で得た小さな気づきを進んで教えてくださるスタッフも増えています。

タブレットを操作して異常を報告するスタッフ
管理者はすぐに報告を確認できる管理者はすぐに報告を確認できる
上:タブレットを操作して異常を報告するスタッフ
下:管理者はすぐに報告を確認できる

農作業の標準化は難しいということでしたが、デンソーでの経験は活きましたか?

細江:モノづくりの世界では、EDERという考え方が重視されます。これは、Early Detection and Early Resolutionの略、つまりいち早く問題を発見して解決し、改良した結果をお客さまにフィードバックするということです。例えば、進捗状況などのデータを表示できるようにしておけば、何らかの異常が起きていることを察知して、速やかに対応することも可能になります。こうした工業的な考え方は、農業でも通じるところがあると思います。

お二人とも農業とはまったく縁のない部署から、AgriDを手がけることになったわけですが、農業の面白さはどんなところにあると思いますか?

細江:エンドユーザーから直接フィードバックを受けながらプロダクトをブラッシュアップしていけることだと思います。エンドユーザーの声をもとに自分のノウハウを使って物事を標準化・汎用化し、プロダクトに落とし込んでいく。そうしてできたプロダクトについてフィードバックをもらい、また改良していく。モビリティ製品分野ではなかなか味わえないので、ソフトウェアエンジニアとして新たな経験ができています。

櫻井:私はカーエアコンの開発を担当していたのですが、以前から「食」に興味があり、農業分野にチャレンジしてみたいと思っていました。新しい分野に行くと、今までに知らなかったことだらけです。蔓の誘引なんてことも知らない状態から、自分で経験しながら一つずつ学んでいきましたし、複数の会社と協力して事業を立ち上げたのも貴重な経験になっています。

そして何より嬉しいのは、農業に携わっている方からたくさんお褒めの言葉をいただけたことです。スタッフからは「辛い仕事がなくなって働きやすい」「泥だらけ汗だらけになる農作業のイメージが変わった」とフィードバックをいただけました。やはり、自分が参加した取り組みが人のためになる、物事が変わっていく流れを実感すると、やりがいを覚えます。